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いつまでも子どものままで

森達也「FAKE」


映画『FAKE』予告編

7月3日、「FAKE」を観にジャック・アンド・ベティへ行った。
「FAKE」は、いつぞやにワイドショーとかを賑わせた耳の聞こえない作曲家、佐村河内守を追ったドキュメンタリーである。全編ハンドカメラみたいなので撮られているので手ブレがあって酔う。かつ、映画の大半は薄暗い佐村河内の自宅で撮影されている。ただでさえ暗い映画館で観ているのに、さらに暗いので眠くなる。
似たようなシーンが延々と繰り返される。撮影者の森がマンションのエレベーターに乗り、降りたらすぐに左折し2つ目だか3つ目だかの家のドアにたどり着き、そこで佐村河内の妻に挨拶し、自宅に入る。薄暗いリビングのテーブルで、妻を事実上の通訳の状態にしてインタビューが行われたり、佐村河内が小馬鹿にされているワイドショーやバラエティ、あるいは彼のゴーストライターとして名前があがり一躍時の人となった新垣隆がテレビや雑誌で「チヤホヤ」されているのを観て、虫の居所が悪そうな佐村河内がいろいろ話したりする。たまにベランダに出てタバコを吸う。たまにメディアの人間が佐村河内の家を訪問し、番組出演の依頼をしたり、インタビューをしたりする。そういう場面には決まって妻が買ってきたのであろうケーキがあり、たまに青みがかった毛色がいかにも金持ちの家にいそうな感じの猫が画面に映る。
佐村河内は、取材や番組出演依頼に来るメディア関係者たちに対し、過剰に拒絶反応を示す。まあそもそも耳が聞こえなく、しかもその上で作曲家をやっており、しかも実はその作曲は人任せだったということが暴露され、全日本から総叩かれしてる人間の気持ちなど、僕には想像してもやっぱりリアリティがなさすぎる。佐村河内本人からすれば「過剰なわけないだろう!」という気持ちなのだろうが、やっぱり僕には過剰な拒絶反応に見える。まあでも、よくわかんないめちゃめちゃな状況のなかだとそういうふうになってしまうのは仕方ないのかもしれないとも思う。
佐村河内は奇妙である。異常に豆乳が好きで、妻がつくってくれた夕食のハンバーグを食べる前にも、長い時間かけて豆乳を1リットルほど飲む。それから、妻とは時間差で、おそらくもう冷めているであろうハンバーグを食べる。耳が聞こえる、聞こえないということについて語るときには、唐突に「昔聴いた音楽の記憶が頭にある」というアピールをしはじめ、その証拠にと言って「トルコ行進曲」を頬を叩いて再現しだす。口を大きく開け、少し首を上げながら頬を叩いてポコポコした音を、なんだか少し自慢気に鳴らし続ける佐村河内を見ていると、なんだかむずかゆい気持ちになる。館内では客から笑いが起こるシーンもいくつかあった。胸が痛い。
佐村河内はサングラスをしているイメージがとても強いが、どうやら強い光が苦手なようである。そのため常に部屋は薄暗く、明るい場所に行くときにはサングラスをしているようだ。佐村河内は強い光で頭が痛くなるらしい。それが耳の障害とどうつながっているのかはよくわからない。それから、常に左手の小指と薬指には包帯かシップか何かを巻いている。腱鞘炎かなにかなのかもしれない。いたずらかなにかで佐村河内の家の前にあった消火器がマンションの外に投げ捨てられていたことがあったというシーンでは、執拗に佐村河内の包帯の巻かれた指がアップで映される。
佐村河内の妻もまた、不思議な存在である。数少ない登場人物だが、いまいちどういう人間なのかよくわからない。佐村河内は、妻を愛している。唯一の外出だったと思うが、名古屋に行くシーンでは、佐村河内はずっと妻と腕を組んでいる。まるで母親に守られた子どものようなどこか不安定な足取り。妻は、佐村河内の仕事内容について一切関知していない。家ではたくさんの取材や出演依頼があっても、必ずと言っていいほど妻が手話などを用いて「通訳」として入っていたため、仕事でも同様に妻が介入してコミュニケーションをとっていたのだろうな…と、佐村河内について何も知らなかった僕は思い込んで見ていたのだが、どうやら違うらしい。
途中、アメリカのメディアの取材のシーンがある。この取材のシーンでは、アメリカ人の取材者がまず英語で質問を話す→通訳が英語を日本語に訳す→その日本語を妻が手話などの形で「訳」し、佐村河内に伝える→佐村河内が質問に答える→通訳が佐村河内の答えを英訳し取材者に伝える…ということでなんとかコミュニケーションが成立している。一個のやりとりが時間がかかるにもかかわらず、質問攻めが行われる。この取材のシーンで、アメリカ人取材者は核心に迫る。「新垣さんが作曲しているという証拠はいくらでもある。しかし佐村河内さんが実際に作曲しているという証拠はない。指示書があるのはわかるが、その指示書がどう音楽に変わるのか、その瞬間は誰も見ていない」。
この言葉がそのまま、ラストシーンへとつながっていく。本当は誰にも言っちゃいけないはずの12分のラストシーンだが、めんどくさいので覚えている限りでそのまま書くと、森監督はこの取材のあと、音楽活動を長らく休止していた佐村河内に対し「また音楽をやりませんか」と告げる。佐村河内はこれに呼応するように機材を購入し、薄暗い自室にこもり作曲活動をするように。最後に完成した音楽が、チープなMIDI音源で再生されていくのを、私たちは森監督と、佐村河内の妻とともに、聴くことになる。佐村河内がつくった音楽がそのままエンドロールのBGMとして流れ、エンドロールが明けると、まだ少しカメラが回っている。佐村河内の音楽を聴いている妻が映される。佐村河内に「愛している」と直接言われたときには涙を流していたのだが、このときはどこか虚ろな表情。何かを握りしめた手のなかには、薄暗い部屋だからこそ、不自然な白い光があることがわかる。その光が、一体なにによるものなのかは、よくわからないまま。このあと森監督は佐村河内に対し、「いいシーンが撮れました。奥さんとのふたりのシーンが撮りたかった」みたいなことを言って、映画は終幕する。
すごく不気味な終わり方で後味が悪かったし、感想ブログとかをひととおりあたったりしたのだが、ラストの妻の手の内で光る何かに関する言及があったのは確か飯田一史と藤田直哉の対談くらいで、しかもこれと合わせて飯田一史のYahoo!の記事も合わせて読むと、佐村河内がボコボコにぶん殴られていて、さすがにかわいそうになってきた。なんか論じたいと思って書き始めたはいいものの、鬱になってきたので終わりにします。