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いつまでも子どものままで

君と僕の虚構恋愛ゲームの話

 日本の現代の芸能には、アイドルという独特の文化がある。カタカナで書くアイドルは、海外のidolとはまた違ったニュアンスを持った言葉だ。言い換えれば、日本には、海外の芸能人にない不思議なニュアンスを持った、アイドルという者がいるのだ。

 日本の芸能界におけるアイドルのはじまりは、人によって解釈が違う。太田省一の『アイドル進化論』の書き出しは南沙織から始まる。稲増龍夫の『アイドル工学』は「吉永小百合山口百恵松田聖子」の流れを重点においてアイドル史を語る。稲増が考えるアイドルのはじまりは、その一番最初の吉永小百合ということになるだろうか。キャンディーズと言う人もいる。なんと、美空ひばりと言う人までいる(!)。

 僕はここで、アイドル史のはじまりを松田聖子に見る。なぜなら僕はこれから、アイドルと「僕たち」の虚構の恋愛ゲームの話をするからだ。

 

 

1.虚構恋愛ゲームのはじまり

 それまでのアイドルたちは、あくまでも実像である自分自身として、偶像の役割を果たしていた。しかし、松田聖子の生み出す偶像は、虚構だった。つまり、彼女はブリっ子だったのだ。

 ファンたちは幻滅したか?そうではなかった。ファンたちはアイドル史が更新されていく中で、恋愛と批評の二重視線を獲得していた。つまり、ファンはアイドルを恋愛の対象として見ながらも、その一方で「○○はダンスはうまいが歌がヘタだからダメだ」とかといちいち批評する対象としても見るように訓練されていたのだった。ファンたちは松田聖子をこう批評した。「彼女はブリっ子だ。だから何だ?彼女はブリっ子を演じきり、僕たちを楽しませてくれる」。ファンたちは、彼女が別の男と結婚しても、その男の子どもを妊娠・出産し、母親になっても、すべてを受け入れた。その幸せを謳歌するライフスタイルに共感する女性のファンもいたほどであった(僕の母はそれで今でもファンだ)。

 

 松田聖子がアイドルという虚像をうまく演じ抜いたことで、アイドル史は更新された。以降、アイドルたちは自意識とファンの視線との闘いを繰り広げ、「いかに自分をアイドルとしてみせるか」というゲームの上でのたうち回る。そしてそれさえもエンターテイメントの一つとして昇華されてしまう。ドラマでの配役をツッパリ系というキャラへの変換に成功した三原じゅん子、「アイドルらしくないアイドル」を模索する小泉今日子、そして、岡田有希子の自殺…。おそらくこれらのすべてが、虚構の自意識ゲームによって説明がつく。しかし、岡田有希子の死は日本全国に衝撃を与えた。後追い自殺が起きたし、RHYMESTER歌丸は今もなおアイドルを語る際にこの事件を引き合いに出すことがある。もはやゲームはゲームであってはいけなくなってしまった。アイドルというシステムが、たとえそれがゲームであったとしても、とてつもない精神力がなければのし上がれないフィールドであることが、明らかになってしまったのであった。

 気がつけば多くのアイドルたちは虚構の恋愛ゲームへの敗北(それはスキャンダルを発端とする)によってゲームを去っていった。あまり詳しくないが、モーニング娘。の衰退はスキャンダルの連続&卒業(脱退)によってもたらされたものであるという分析も多い。

 

2.AKB48の登場

 そこに、AKB48が登場した。AKB48グループが掲げているのは「恋愛禁止」であった。いままであまり表沙汰にされてこなかった「アイドルの恋愛はタブー」という暗黙の了解を、あえて言葉に掲げたのである。誰もがわかっていながら語っていなかったことをあえて語る。このことによるメンバーの自意識への影響は大きいはずだ。先にあげたRHYMESTER歌丸岡田有希子の自殺に関する発言は、ほとんどAKB48の話をしているときに出てくるくらいだ。

 言葉となった「恋愛禁止」は、それまであやふやにあった「見られているかもしれない不安」(永山則夫的不安、あるいはそれを分析した見田宗介の言葉)をかき立てた。数多のメンバーが矢面に立つことのプレッシャーから離れていった。恋愛がスキャンダルとしてメディアを騒がせ、それをきっかけにやめていったメンバーもいた。AKBが不問としている過去の恋愛経験や、キスシーン(たかが!)を行っただけで2ch地下アイドル板が荒れることもあった。

 箱物アイドルが恋愛禁止を掲げる。このこと自体が虚構の恋愛対象としてのアイドル史を見る上では大きな歴史の更新だが、個別に、アイドル史を更新している二人のアイドルがいる。小嶋陽菜指原莉乃だ。

 

 

3.女の子の神様(小嶋陽菜の場合)

 まずはタイプ1。小嶋陽菜を考えてみよう。

 AKB48の「女人気」について - AKB48まとめんばー

 AKB48タイムズ : AKB48 女子が選ぶ好きなアイドル部門ベスト10 オリコン調べ - livedoor Blog(ブログ)

 アイドルブログのコメント欄から見る、「君と僕の関係」 - インターネットもぐもぐ

 このあたりのブログを参考資料に、メンバーの特徴や評判なども加味して考えてみると、女性人気を獲得している女性アイドルにはいくつかのパターンがある。

  1. ファンの母数が大きいが故に、女性ファンの数も多い(前田・大島タイプ)
  2. 女性から見て同性愛の対象になりうる、いわゆる腐女子受け(宮澤・秋元タイプ)
  3. 女性ティーンズの憧れ的存在(板野タイプ)
  4. 女性全般から見る憧れ的存在(小嶋・篠田タイプ)

 ここで重要なのが、3.と4.、板野・小嶋・篠田のファンの棲み分けである。

 まず明らかにタイプが違うのが板野友美である。彼女はすでに成人し今年21歳だが、Nicky・Cawaii!!・S Cawaii!!などのティーンズ向けファッション誌、あるいはDe Viewなどのティーンズオーディション雑誌の表紙をつとめることが多い。また、篠田・小嶋に比べ、ギャル寄りのファッションをしていることも特徴的だろう。

 篠田はMOREの専属モデルである。小嶋もMAQUIAで連載を持つ。どれも20~30代女性をターゲットにした雑誌だ。小嶋は加えて、TSUBAKIのCMにも出演している。まあ何にせよこの二人は、板野とは違った、若者からすると少し大人な女性の憧れの対象としてある。

 ただし、小嶋と篠田の大きな違いはananへの掲載だ。特に小嶋はananで複数回表紙を彩り、加えてその脱ぎっぷり、あるいはそのナチュラルなセクシーさが、どちらも大きな話題を呼んだ。現在発売中のananでも理想のバストを持つ有名人ランキングで一位を飾っている(参考)。

 

 ここでananが持つ雑誌の性質をより詳しく考えなければいけない。ananはファッション雑誌でありながらSEXや恋愛の特集などで話題を呼ぶ不思議な雑誌だ。着飾るための華やかな「ファッション」にしてはやたらに「自然体」を意識しすぎている。言い換えるならば、生活を意識している。

 男性雑誌に女性が登場するとき、それは上で書いたような虚構の恋愛の対象だ。グラビアは恰好のオカズになってしまう。しかし、女性雑誌に女性が登場すると、そこにはリアルさが加わる。その女性雑誌を読んだ男性は、現実味のない虚構の恋愛対象としてだけでなく、現実に付き合ったら、ということをリアリティを持って考えてしまう。要するに、ananに登場する女性は男性にとってみれば、虚構恋愛の対象ではなく、恋愛結婚の対象なのである。性別関係なく誰からも愛され、幸せに生きる女性像。それが、ananにはある。そして、そのアイコンとして話題をかっさらっていくのが、小嶋陽菜なのだ。

 

AKB小嶋陽菜のキスシーンにオタ発狂「死にたい」「さようなら」「絶対に訴えてやる」:ハムスター速報

 こんなのもあったが、たぶん小嶋はアイドルとしても一定の成功を収めながら、ある瞬間恋愛を認め、さらーっと芸能界を引退するか、ぽかーんとしたタレントとしてうっくり生きていくのだと思う。そして、一部のヲタが発狂したところでそれは一部の思いでしかない。幸せのアイコンとして消費するanan読者系の多数の人々(これは女性に限ったことではない)は彼女をいつまでも支持していくだろう。おたくたちの発狂にプレッシャーを感じないために、一般女性にそのライフスタイル的な部分まで支持されることを選んだのが、小嶋陽菜というわけだ。彼女が偶然にも選択したメディア上の生存戦略は、アイドル史を更新したといえる。

 

 

4.それでも好きだよ(指原莉乃の場合)

 そして一方で小嶋に比べかなりゲスい生き方を選択したのが、指原莉乃である。

 先日ポストした佐藤亜美菜に関するブログの中で佐藤亜美菜のことを「カルトアイドル」と書いたが、指原莉乃もまた別の意味でカルトアイドルであった。

 彼女は佐藤亜美菜とは違って、秋元康から次世代を担う若手として選抜を任され、そして一度選抜を落ち不遇の時代を経験した。彼女が選抜から落ちるのはある程度納得のいくことであった。指原は秋元の期待を遙か下回る結果しか出せなかったのである。第一回選抜総選挙、同時期に秋元に一緒に猛プッシュされていた北原里英が13位だったのに対し、指原は27位で選抜入りはできなかったのだ。同期に順位で大きく差をつけられたのは悔しかったに違いない。

 指原莉乃は、全体的に見て、なんか薄っぺらい。地味な顔をしているし、体もどちらかというと貧相だ。ダンスもヘタだし、歌もヘタだし、可愛くないし…。いつの間にか彼女はヘタレと呼ばれるようになった。ちょっと小さなグループではブイブイ言わせちゃうようなタイプなのだが、それですぐに調子にのるのでどうにも大きく出ることができない。おまけに彼女はハロヲタだ。

 ここまでの指原の紹介を読んでふとシンパシーを覚えた人もいるのではなかろうか。そう、指原とはおたくであるファンそのものなのである。同じハロヲタでありながら、アイドルというプレイヤー自身であり続ける柏木由紀に対し、指原はアイドルでありながらアイドルウォッチャーとしての側面を強く持っているのである。ファンたちは指原を自分に重ねた。少しずつ、少し違った在り方のカルトアイドルとして、徐々に人気が出てきた。

 

 やがて彼女に二回目のチャンスの順番が来る。秋元康は指原の人気が上がりつつあったのを嗅ぎ取り、早速もう一度プッシュしはじめたのであった。結果はご存知の方も多いだろう。AKB48メンバー初のソロ冠番組「さしこのくせに」、第三回選抜総選挙9位、そのままバラエティに出続け、ソロデビュー。第四回総選挙でなんと篠田麻里子板野友美小嶋陽菜といった錚々たる先輩メンバーをごぼう抜きしてなぜか4位。

 今更こんなことをブログにまとめていてなんなんだろう、という気持ちになる。AKBファンは誰もがこんなこと知っているからだ。このあと書くことも知っているだろう。指原に恋愛スキャンダルが起こった。秋元康オールナイトニッポンでスキャンダルの罰としてHKT48への移籍を命じた。TIFに続くアイドルフェスのはしりとして今後歴史に名を残すであろう「指祭り」を開催した。2ndシングル「意気地なしマスカレード」は指原莉乃withアンリレ名義で発表し、なぜかアンリレにセンターの座を明け渡す。とりあえず指原莉乃は話題に事欠かない。テレビでAKBを見るだけの一般人でも指原のスキャンダルはわかる、だからとりあえずいじっていれば面白いだろうとTV関係者や芸能人に気に入られた。

 

 恋愛スキャンダルから始まるこの一連の指原騒ぎが痛快だったのは、その当時歌っていたのがソロデビューシングル「それでも好きだよ」だったからであった。これは(表向きには)指原がダメダメなヤツなんだけどそれでも君のことが好きだよ、って言うようなどうでもいい歌だったのだが、「それでも好きだよ」というワードが独り歩きした。ファンからすれば、指原が恋愛をしていようがしていまいが、「それでも好きだよ」に摩り替わったのである。

 これはある意味では虚構恋愛の対象としてのアイドルの元祖である松田聖子の再来と何ら変わりないことかもしれない。確かに、松田聖子のファンは、別の男と結婚しても「それでも好きだよ」だったのかもしれない。しかし指原は松田聖子のような正統派ブリっ子ではない。大事なところでどこか抜けていて、話題に事欠かない指原莉乃である。たぶん指原がまた恋愛でスキャンダルを出してしまったとしても、ファンは「ああまた指原がなんかやってるよ」「まじかよ指スレ荒らしてくる」「それでも好きだよ」が一体となったよくわからない思いで彼女を見続けるだろうし、その視線がある限りは彼女はテレビに出続けるだろう。恋愛禁止っていう看板ももはや虚構ですよと宣言する一方で、でも自分はヘタレだから許してね、みたいなものを両立しアイドルとして生き続ける。それが指原莉乃なのである。

 

 

 

 松田聖子のあと、岡田有希子の自殺によって何かが崩壊したアイドルフィールドで、AKB48から登場した二人のアイドルが、新たな虚構恋愛ゲームを開拓している。二人は対照的だ。片方は幸せの象徴、もう一方はお笑い向け観察対象。どちらも、辛辣であったはずのアイドルを笑って突っぱねて新しいアイドルを提示している。楽しいから、これからもアイドルを見続けようじゃあありませんか。もしかしたら、新たに歴史を更新するアイドルが出てくるかもしれないしね。

 

(結構本気で書いたのでもしよかったらはてブ、ツイート、いいね!してください苦笑)