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いつまでも子どものままで

「LA LA LAND」と「二人セゾン」

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(文中にネタバレあり)
「ラ・ラ・ランド」を観た。このブログは、比較対象として欅坂46の名曲「二人セゾン」をとりあげながら、「ラ・ラ・ランド」の面白さについて書こうとしている。いかんせん映画に対する教養があまりなく、ふんだんに取り込まれたというオマージュがほとんどわからなかったので、なぜかアイドルの楽曲とくらべてしまった。どうしても何か書きたかったのだが、書こうにもこれしか方法がなかった。どうか全体的な荒唐無稽さにはお許しいただきたいです。

四季:春夏で恋をして/秋冬で去っていく

フランスのミュージカル映画シェルブールの雨傘」のオマージュだそうだが、この映画は4つの季節ごとにシークエンスをはっきりと分けている。そしてそこで描かれるテーマはかなり明確で、ほとんど4つの季節が持つイメージをそのままストーリーに重ねている。互いに苦境に立たされていた冬に二人は出会い、春夏で恋をして、秋冬で別れるのである。「春夏で恋をして/秋冬で去っていく」と歌う「二人セゾン」そのままである。
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四季は、何度も繰り返す永遠の象徴である。冬が終わり、春が来る。夏が終わり、秋が来る。そうやって四季は繰り返していく。大林宣彦がどこぞにロケに行ったときに、特殊な気候のお陰で、左に柿がなった木が、右に満開の桜の木が並んでいるという奇妙な背景を目の当たりにしてなんかすごく変な(確かどちらかというとネガティブな方の)気持ちになったという話をどこぞに書いていた。こういう季節の循環に狂いが目に見えたとき気分が悪くなるのは、「永遠性」のゆらぎを感じるからなのではないかと思う。「ラ・ラ・ランド」もその四季を構成に入れていることから、永遠を想起させる作品だ。ただし、その永遠は、不変を意味するわけでない。四季は永遠だが、永遠に変化を繰り返すのである。

夜明け:繰り返される永遠の象徴

ミュージカルを扱った映画なので、音楽がふんだんに取り入れられている。そして、その作中の音楽の歌詞がいい。もともとの英語の韻文も聴き取れる範囲だけでも気持ちがいいし、和訳したあとの言葉選びにも、多くの人がどこかしらで魅力を覚えるのではないだろうか。詞の内容はありふれたテーマなのだろうけど、言葉が音楽に乗ったときに異様にパワーアップするあの感じが、そのまま伝わってくる。冒頭流れる「Another Day of Sun」の

And when they let you down You'll get up off the ground
'Cause morning rolls around And it's another day of sun

なんて、わかりやすい。夜明けのモチーフが歌詞に取り込まれてる音楽ってやっぱりグッとくるものが多い。
新たな一日のはじまりは、希望の象徴である。そして同時にある人間にとっては「また嫌な一日が始まる」という絶望の象徴でもありうる。一日の始まりを告げる夜明けは、そういう風にいろいろな人々の希望と絶望を、毎日呼び起こす。毎日。でもその希望や絶望は「どんなに辛い毎日でも明るい光はやってくる」「こんなにつらい毎日が、また朝から始まる」と、永遠に繰り返される日常があるからなのではないだろうか。夜明けとは、つまり永遠の象徴なのである。
先に引用した一節が流れる、冒頭の高速道路での大渋滞のなかでのミュージカルシーンは夜明けでもなんでもないが、ミアとセブの出会いは、夜明け前のバーである。そしてそのあと、二回も三回も、何回も奇遇にも出会う。二人の恋は、永遠を予感させる夜明け前にはじまるのである。
先の「二人セゾン」もまた、一番Bメロにこんな歌詞がある。

太陽が戻ってくるまでに 大切な人ときっと出会える
見過ごしちゃもったいない 愛を拒否しないで

恋は、永遠を予感させる夜明け前に始まる。そしてそれは繰り返されていく(最後にはミアとセブは別れるし、『Another Day of Sun』の冒頭も、男女の別れから始まっていることを思い出そう。この映画は、直接的にではないものの、確かに循環している)。こんなところでも、「ラ・ラ・ランド」と「二人セゾン」は奇妙に一致する。

映像の繰り返し:同じだけど、何かが違う

夜明け、季節といったモチーフをうまく利用することで、「ラ・ラ・ランド」も「二人セゾン」も、「繰り返し」の美しさを効果的に感じさせる作品となっている。「循環」(『二人セゾン』のサビを聴いていると、永遠にそれが続いてほしくなるような快楽があるが、ここは『今夜はブギー・バック』や七尾旅人『サーカス・ナイト』と同じ甘美な循環コードだ)とか「永遠」とか言ってもいいし、人によっては「諸行無常」と表現するかもしたほうがわかりやすいかもしれない。しかしここでは「繰り返し」という言葉にすべてを集約させることにする。「ラ・ラ・ランド」は、さらなる表現でこの「繰り返し」をよりドラマチックにしてしまうからである。どういうことか。
この映画は、映像もまた、「繰り返す」のである。作中でミアとセブは「理由なき反抗」を一緒に観るのだが、その上映は中断してしまう。しかし、その後、さっきまで見ていたはずの「理由なき反抗」とほぼ同じカットが流れ、そのままミアとセブはグリフィス天文台でファンタジックな時間を楽しむ。中断によって潰えた物語中の物語「理由なき反抗」は、同じ、でも少し違う映像の繰り返しによって物語「ラ・ラ・ランド」を次へと進めるのである。そもそも、過去の名作へのオマージュがふんだんに取り込まれたということでも話題になっている本作だが、オマージュとは、過去の表現手法をそのまま「繰り返す」ことでもある。
ラストシーンもまた、同じシーンの繰り返しによって印象的に描かれる。5年後の冬(別れの季節!)、ふと夫と立ち寄ったバーで偶然にもステージに立つセブに遭遇するミア。セブの演奏が流れると、それに合わせて、それまでに観客の私たちが観てきた過去の二人のシーンが繰り返される。しかしそれぞれのシーンは、さきの「理由なき反抗」のオマージュと同じように、確実に何かが違う。映画の序盤で出会った際には肩がぶつかっただけだったミアとセブが、出会い頭に熱いキスを交わす。彼らの関係を崩壊させる一因ともなっていたはずのキースとの仕事もあっさりと断り、客もまばらで大失敗に終わったはずのミアの一人芝居の公演は満員御礼で大成功となる。そして、ついさっき見たばかりの高速道路に降りるカットがもう一度流れる。そして先のバーに入っていくミア。しかし、そのミアの隣に並ぶのは、さっき見たばかりのカットに写っていた男ではない。セブだ。
シチュエーションはまったく同じ、なのに起こっていることはまったく違う映像が立て続けに流れ、やがて「こうあり得た未来」が、セブの演奏に合わせて映し出されていく。映画の中で、これも何度も繰り返し使われてきたピアノリフ(そもそも、リフって言いたくなっちゃうくらい、このピアノリフは、聴いているとなぜか延々と続く感じがする!)から、いつの間にか音楽は、映像の中の「こうあり得た未来」に合わせて、ドラマチックに転換していく。ミアはセブの子どもを妊娠し、二人はともに夢だったバーを経営している。

あまりに印象的なラストシーン

彼らは、何度も繰り返される夜明けと、そして何度も繰り返される四季とともに、生きてきたはずだった。しかし、その生をまた別の形で繰り返して生きたとき、そのあとに訪れる未来は、まったく違うものになっている。「繰り返す」ということは、そんな単純なものではない。繰り返す日常のなかでの些細な選択が、何かを大きく変えていく。これもまた、「二人セゾン」の

一瞬の光が重なって 折々の色が四季をつくる
そのどれが欠けたって 永遠は生まれない

の一節を想起させる。ラストシーンだけで、「二人セゾン」が描こうとしていたものを、より象徴的に、そしてあまりに印象的に描き出す。作中で嫌そうに会食をしていたお偉いさんと結婚した現在のミアと、「こうあり得た未来」におけるセブとともに生きるミア。それまでヴィヴィッドな色合いのドレスを身にまとった姿が印象的だったミアが、このラストシーンでは黒いドレスを着ているせいか、そのコントラストはあまりに強烈だ。しかしその展開と、それを見せる映像のあまりの美しさを前にしては、現在のミアを卑下することなど到底出来ない。
これを観て映画館を出て一番最初に、何に思いを馳せるだろうか。過去を悔やんだり懐かしんだりするか、未来を見るか。それともいまの自分と向き合うか。夢か、恋か、あるいはまた別の何かか。たぶん人それぞれ、まったく違うことなのだと思う。しかし、こういった繰り返しのイメージが、何かに思いを馳せてしまうこの作品をより力強くしている。わずか二時間ちょっとの観賞時間で、人間の一生、あるいはそれ以上のスケールの大きなものを見せられたようだった。

二人セゾン

二人セゾン

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

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  • アーティスト: サントラ,ジャスティン・ハーウィッツ feat.エマ・ストーン,ジャスティン・ポール,ジャスティン・ハーウィッツ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2017/02/17
  • メディア: CD
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「たかが世界の終わり」と家族


『たかが世界の終わり』予告編

グザヴィエ・ドラン(ずっと「クサヴィエ・ドラン」だと思っていた…)「たかが世界の終わり」を観た。
前日、東京で一個予定があったあと、横浜で両親と会うということになっていて、どこかで合間で映画でも観たいなと思っていた。もともとは新宿でSiSのドキュメンタリーを観るつもりだったが、上映時間がレイトショーの時間帯だけだったので、その時間には横浜にいなければいけなかったので泣く泣く断念した。横浜まで来てから何か観たいなと思って調べていたら、次の日の日中ちょうど観れるということで、夜は両親と久々に団欒し、そのまま一緒にビジネスホテルに泊まって、次の日に観た。前々からグザヴィエ・ドランの作品について「一度観て感想を教えてほしい」と友人に言われていたので、ちょうどよかった。

親元を離れ作家として活躍する主人公ルイは、12年も実家に帰っていない。しかし自分の命が長くないことがわかり、それを伝えるために久々に実家に帰ってくる。そこで過ごした一日を描いた作品である。
フォーカスされるのは、「死期が近い主人公」ではなく、家族との会話そのものである。しかもその会話の内容もまた、ルイの告白ではなく、他愛もないものばかりである。しかし、家族の会話はいちいち不穏で、どこかで暴発しないかビクビクして観ていなければいけない。同じ部屋で誰かと誰かが会話していると「どうせその話はコイツは興味がない」とか「またその話か」とか言って誰かが入ってくる。そしてそのあとでそれを遮るように「黙ってて」とか「なんでそうやって突っかかってくるの」とか返すと、いつの間にか会話が喧嘩腰になり、その空気感を察した誰かが別の話題を持ち込む。会話は破綻し「しっかりと終わる」ことがない。ワンシーンだけ、O-ZONEの「恋のマイアヒ」がラジオから流れた瞬間、母が「エアロビのときに流れている音楽だ!」と興奮気味に踊りだすのだが、そのときシュザンヌがかろうじて合わせて踊ったときだけ、なんとなく家族の調和がとれているような箇所があるが、それさえも音楽の大きさや、映画の作風に見合わぬ選曲に、気味の悪さを覚える。
会話が破綻し、暴発しない限りは、よくある家族の会話なのだが、全体的に、なんか暗い。主人公の命が長くないという情報と、あとはBGMのセレクトの問題だと思う。前日日中に会った方に、どこぞの小劇団で、同じ会話のシーンを何回も繰り返すんだけど全部違うBGMにするだけで会話の内容が様変わりするという演出をやっているところがあってそれが面白い、という話を聞いたのと、友人から聞いていた「グザヴィエ・ドランの音楽の使い方はヤバい(おそらく肯定的な意味でだと思う)」という事前情報があったから、なおさらそう思う。そう考えると、映画における主題歌やBGMの選曲はかなり重要だ。
でも、久々の家族との会話というのは、本当にそのままこういうものなんじゃないかと思う。前日に家族が集まって久々に外食をしたときの会話も、ほとんどこの映画のままだった。別にうちの家族は「ヤバい」人間は誰一人いないと思う。ただ、なまじ「家族である」という認識があるだけに、思ったことをそのまま喋ってしまっていいと思っていると、会話の相手を非難するような言葉を簡単に発してしまうし、それを聞いた相手も感情的になってもいい会話だという認識があるのでそのまま感情的に喋ってしまう。そのまま会話は暴発し、後味の悪い感じで話が終わることなく途切れてしまい、なんとなくまた次の話題になる。だいたい会話の中身にはほとんど意味がないし、それが完全に終わるということもない。家族の会話って、9割くらいそんな感じなんではないだろうか。
こういった会話は、自分の思い通りに会話が進まないどころか、確実に悪い方向に会話が転んでしまうことがわかっているので、僕はあまり加わりたくない。だが、そういう風にしているとフラストレーションがたまるし、せっかく久々に家族と会っているのに話さないなんてもったいないなあと思うし、何よりなんだかこの歳になってもいまだに両親と仲良くいられない自分がみっともないという後ろめたさなんかも覚えるようになってしまう。それでなんとか会話に加わろうとすると、自分にそのつもりがないのにどうしても会話を暴発させる一因になるので、余計に自分がみっともなく思え、気分が悪い。だいたい家族に会ったとき、日によってほとんど黙ってる日とそうでない日があるが、どちらにせよ誰のせいでもなく気分が悪くなるんだから気分が悪い。
だからか、映画の主人公ルイは会話のほとんどで聞き手にまわり、自分の返答を求められている言葉に対しても、二言三言でしか返さない。母親も兄も妹も、ルイのことを「よくわからない」と言っている。でも、久々に会っているという状況ならなおさら、よくわからなくて当たり前だと思う。家族はみな「わかりあえているはず」「わかりあえていなければいけない」という幻想は捨てないと結構キツいんだと思う。
兄弟揃って車でタバコを買いに行く車中の会話のシーンは、家族(というかもはや人間同士さえ含んでる)の「わかりあえなさ」を露骨に描いている。深夜の便の飛行機に乗ってきたから、まだ夜も明けない朝方に到着した主人公は、家族を驚かせてはいけないと適当な時間になるまで待っていた、という他愛もない話をするのだが、劇作家特有の言葉遣いが鼻についたのか、それに対して揚げ足を取るかのようにつっかかり、「だからなんなんだ。上質紙に赤い印字がされた経済誌でも買って読んだのか。ポテトを揚げていたから服に臭いでもついたのか」と、そのあとの会話の内容さえバカにするように怒鳴り立てる。ほとんど兄の弟の話を聞く態度には、弟を理解しようという姿勢は(一度それを見せようとはしているものの)ほぼない。にもかかわらず、兄は「ほうっておいてほしいというときもある。わかるだろ」と、弟には理解を強いる。
とはいえ、弟のルイもまた、兄アントワーヌ、あるいはそれ以外も含んだ家族たちの気持ちを理解しきれてはいないはずだ。完全に別の話になるが、少し前に平野啓一郎の『空白を満たしなさい』を読んだ。三年前に死んだはずがなぜか生き返ってしまった主人公。家族のもとに戻っても、職場に戻ってみても、どこか関係がぎこちない。戸惑う主人公に対し、友人や上司が「お前がいない間、みんなはお前がいなくなった穴を埋めてきたんだ。そこにお前が戻ってきたんだから、異物が入ってきたのと同じ状態で、ぎこちないのも当然だ」といった話をする。ルイは自分がいない間に「穴が埋められている」ということをわかってはいるがどうしたらいいかわからないまま、家族たちと話していたのではないか(実際、その抜けた穴にするりと入ってきたように、12年ぶりの帰郷に際しいた新しい登場人物である兄嫁に対して、ルイは最初に会話する)。
とかく、家族だろうが、長い間会っていないんだからそりゃあすれ違いだってある、という話だけなんだと思う。でも、たかがそれだけの話を、これだけシリアスに描いてこんなにかっこいい作品の存在は、「たかがそれだけのことで悲しんだり悩んだりしてもいいんだ」という慰めみたいなところがあって、すごくいい映画だった。

2016〜2017の観たもの、聴いたものの感想など

2017/02/14

先日のグラミー賞Beyonceが最優秀アルバム賞などの主要部門での受賞を逃した。昨年のグラミー賞もまた、Kendrick Lamarが本命とされていながらTaylor Swiftが最優秀アルバム賞を取った。ここ数年ブラックミュージックの影響力はどう考えても見過ごせないほどに大きなものになっていて、その影響は日本の音楽にも大きな影響を及ぼしているはずだが、グラミー賞はそれを黙殺したと言える。
Beyonceの「Lemonade」は2016年の年間ベストアルバムでは軒並み上位にランクインしていた素晴らしいアルバムのようだが、僕はあまり聴かなかった。かろうじてFrank Oceanを聴いたくらいで、結局Solangeもまだ聴いていない。一昨年もKendrick Lamarのアルバムはあまり聴かなかった。英語だから理解できないんじゃないの、といわれればそれはそうなのだが、英語詞を訳す作業をしても、やはりあまり感動はなかった。いや、別にどれも音楽はカッコいいんだけど。何度も聴くかと言われるとそうでないというか…。

2017/02/11

友人に勧められて「沈黙-サイレンス-」を観に行った。アメリカの映画だが、原作は遠藤周作で、演者には著名な日本の俳優が数多く名を連ねる。
とにかくあらゆる面でクオリティが圧倒的感があって、映画に引き込まれたのはそれはそうなのだが、その一方でこの映画で描かれているテーマに対して距離をとっている、というかとらされている自分がいた。映画でなくてもなんでもいいんだけど、どんなに自分と縁のない世界を描いたものでも、どこかに自分を重ね合わせてしまう登場人物が少しくらいいたりするものだと思うのだが、そういう人物がいなかった。アンドリュー・ガーフィールド(彼が『ソーシャル・ネットワーク』で演じたエドゥアルド・サベリンは本当に好きなキャラクターだ)演じるロドリゴの葛藤にも「なんか、わかるけどなんだかなあ…」という感じがした。そして、この映画で描かれる隠れキリシタンの人々は日本人が演じているわけだけれども、ほとんど宇宙人を見ているような感覚だった。小松菜奈ちゃんは「渇き。」のときより宇宙人だった。

2017/02/02

東京タラレバ娘」第一話のエンディングが流れた瞬間は、思わず声出た。Perfumeの「TOKYO GIRLS」。
ダブステップを意識したリズムの音数の少ないイントロが鳴った瞬間に心を掴まれる。EDM的な曲の展開に何かが始まる力強さを見てしまう。「東京タラレバ娘」では「カルテット」のほうが面白いし…などと言っていてもそれでもやっぱり観てしまうのは、この曲を聴きたいがため、みたいなところもあるくらいには、好きな曲だ。
年齢設定が引き下げられたというドラマ版は、主演に吉高由里子榮倉奈々大島優子榮倉奈々は早生まれとは言え、奇しくも三人共1988年生まれ。Perfumeと同じである。そんなPerfumeが(ドラマで吉高由里子たちが「お前たちはもう女の子じゃない」と言われたあとにも)「夢見るTOKYO GIRL」と歌い切る。アラサーの女たちのエモーション、ヤバい。もし僕が女だったらこの曲を聴いて泣くと思う。

2017/01/16

西野カナが好きである。
一年前か二年前か、忘れたけれども、僕よりも少し前から、友人が「西野カナはいい」と言っていて、当時はあまり聴いていなかったし、「会いたくて震える」バイアスが強くかかっていた僕は何がいいのかわからず、実際に「何がいいの?」と尋ねた。友人は「歌唱力が素晴らしい」以上何も言わなかった。ライブ映像を見たが、さして上手いとは思わなかった。
現在のバイト先で、西野カナがよく流れるので、何百回と聴いた。そして気づいた。西野カナは歌詞がいい。あとで調べると、その歌詞の面白さに言及している記事がいくつかあり、「ああ、結構同じことを考えている人がいるんだ!」と嬉しくなった。
特に「Have a nice day!」という曲が好きである。恋に仕事に頑張る女子の歌。「夜中のスイーツラララララ/ダイエットはまた明日から」という言葉のリズム感も、歌っていることも最高だし、サビも非常に元気をもらえる。毎日同じことの繰り返しの毎日だが、なんとなく頑張ろうという気分になれた。この曲は「関ジャム 完全燃SHOW」の企画「売れっ子音楽プロデューサーが本気で選んだ 2016年のベスト10」で、いしわたり淳治が一位に選んでいた。納得のセレクトだと思ったと同時に、ちょっと上手くできすぎだ、とも思った。

2016/10/15

宇多田ヒカルの「Fantôme」に「ともだち」という曲がある。水曜日のカンパネラの楽曲にも参加している小袋成彬がフィーチャリング参加している。友人のままなら側にいれるけど、恋愛関係になりたい。でもそれを言ったらどうなってしまうのか…といった内容の歌詞で、曲のリズム感もあわせて好きだったのだが、これについて宇多田は同性愛に関する歌であると明言していると知った。その情報を知るまで、まったくそういう歌とは気づかなかったが、今度はまったく別物の歌に聴こえてきた。音楽は情報によって意味合いが変わる。それが何について、誰のために歌われているかという情報は、詞の意味を大きく変えてしまうなと思った。

2016/09/29

James Blakeの新譜を聴いた。「Meet You in The Maze」という曲がすごい。ボーカルの多重録音にエフェクトをかけまくった曲で、内省的で途方もなく美しい。「Music can't be everything.」と何度も繰り返される。音楽は全てではない。音楽は全てにはなりえない。ついでにたぶん映画も、アイドルも、テレビドラマも…「全て」になりえないんだと思う。そう考えたら、すごく悲しい気持ちになってきた。

2016年ベストアルバム/ベストソング

ベストアルバム

1.BiSH「KiLLER BiSH

KiLLER BiSH

KiLLER BiSH

個人的な思い入れがあまりにも強く1位。10月8日の日比谷野音でのツアーファイナルでのアンコール「オーケストラ」は本当にすごかった。
シティ・ポップにトレンドが完全に移行しきった2016年、アイドルの多くもまたそういった音楽性を持ったグループが「楽曲派」ウケという小さなパイを奪い合う中、BiSHは徹頭徹尾エモとパンクを貫いた。このアルバムがその証左。最高なのでみんな聴きましょう。
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2.Bon Iver「22, A Million」

22, A Million

22, A Million

恥ずかしながらBon Iverをまともに聴いたことがなかったのだが、いいアルバムすぎてぶっ飛んだ。神秘的でちょっと暗いんだけど、なんか内に秘めたものを爆発させたような壮大な感じでたまらない。オートチューンなども含めたボーカルの多重録音のハーモニーに心を揺さぶられる。機材などについてはこちらが参考になる。読んでもよくわかんなかったけど。

3.宇多田ヒカル「fantome」

もとはといえば、KOHHをフィーチャーした「忘却」を教えてもらい、それがあまりにすごかったのでそれを聴くためだけに買ったアルバムだった。「忘却」は確かに死ぬほどよいのだが、それ以外の楽曲もとても素晴らしい。アイドルソングに慣れすぎているため最初は削ぎ落とされたシンプルな音作りに物足りなさを覚えたが、どうやらこれくらいのほうがいいらしい。
客演も豪華で、椎名林檎とのデュエット「二時間だけのバカンス」、水曜日のカンパネラにも楽曲提供する小袋成彬作曲の「ともだち」など。これは同性愛の人間の恋愛を歌っているのではないかとかいう話に関してTwitter上で本人がファンとのリプライのやりとりをしていたことでも話題になったが、それでなくても素晴らしい曲。また、事前に出ていた「花束を君に」などのシングル曲も、違和感なくアルバムに自然におさまっている。全体的に閉塞感のある生活のなかにどのように幸せを見出していくかがテーマなのではないかと思った。暗いんだけど暗くない。

4.C.O.S.A.×KID FRESINO「Somewhere」

Somewhere

Somewhere

  • C.O.S.A. × KID FRESINO
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥1800
フリースタイルダンジョンを機にミーハーにヒップホップに手を出した結果これにたどり着いたのは本当によかった。トラックのセンスも最高なのに加え、ふたりのリリシズムがすごい。説明しすぎず聴き手の想像に任せる多少の余白のある歌詞の絶妙なバランス感覚で、少しありがちなモチーフも新鮮に受け入れられる。
ラッパーはラッパーとしての生活から歌詞を書くことになるので、どうしても似通ったテーマになりがち問題みたいなのがある気がするのだけど、こういうのを聴くとそんなの関係ないんだなという感じがする。

5.James Blake「The Colour in Anything」

トラップやらインディーR&Bやらの要素を散りばめつつなんかいい感じにまとまっている。これをきっかけに聴いたBon Iverの新譜とは根底で通じているものがあるのかもしれないが、印象としてはこちらのほうが圧倒的に内省的で暗いアルバム。歌詞が赤裸々でよかった。

6.Anderson Paak.「Malibu」

Malibu

Malibu

  • Anderson .Paak
  • R&B/ソウル
  • ¥1500
今年ライブに誘われたがスケジュールが合わず断ったものがいくつかあるのだが、そのなかでも一番後悔してるのがこれ。このひと、とかくドラムも上手いらしい。

7.BiSH「FAKE METAL JACKET」

FAKE METAL JACKET

FAKE METAL JACKET

BiSHにドハマリしたきっかけとなってしまったアルバム。「たかが運命なんてもんは変えていける気がするんだ」「どんなトゲトゲな日でも息してれば明日は来るんだし」など、メンバーの詞が素晴らしい。

8.Homecomings「SALE OF BROKEN DREAM」

SALE OF BROKEN DREAMS

SALE OF BROKEN DREAMS

  • Homecomings
  • ロック
  • ¥1800
前作もとても大好きだったのだが、次のシングルが発表された際、「あれ、いわゆるロキノン的な安易なおセンチになってしまったな」という印象を覚えていたのだが、アルバム全体を通して聴くとむしろ前作から作風は一貫しているように思う。相変わらずギターの音がきれいで、ボーカルはかわいい声。拙い英語が仇でなくむしろ魅力に繋がっているところが、ジャパニーズ・オリジナルである。

9.Whitney「Light Upon the Lake」

Unknown Mortal OrchestraとSmith Westernsのメンバーが結成したグループ。昨今のトレンドに乗ろうとするあまり、ここ2年ほどいわゆるインディー・ロック然としたものから距離があった感じなのだが(というかそもそも音楽あまり聴いていなかったという話もあるが)、これで少し揺り戻された。

10.American Football「American Football」

あまり情報を追っていなかったので、まさか2016年にアメフトの新譜が聴けるとは思わなかった。相変わらず綺麗な音。また、歌詞もとてもいい。人間の分かり合えなさみたいなものを淡々と描いている。アルバム唯一にして最大の欠点は、このニューアルバムも名盤の1stもどちらも同じセルフタイトルのアルバムで、アルバムの管理が面倒だということ。まあそれで1stも聴き直すきっかけになって、1stももっと好きになったので別にいいんだけど。

11.David BowieBlackstar

「ジギー・スターダスト」以外ほとんど聴いてこなかったので、実はほとんど初めてのリアルタイムのデヴィッド・ボウイがこれ。非常に明確に覚えているのだが、1月8日このアルバムが配信されて何度も聴いていたらその3日後に訃報。ベタだが、遺作になることがわかっていたんだと思う。

12.KOHH「DIRT Ⅱ

非常に暗い。はじめて聴いたときは、そのあと動く気力を削がれた。

13.Teenage FanclubHere

Teenage Fanclubは本当にとても好きなバンドで、Grand PrixとBandwagonesqueは中学時代から何度も聴いてきた、本当に青春時代に傍にあったアルバムなのだが(実際Grand Prixに関してはレコード屋をまわりクリエイション盤も買った。とても懐かしい)、実は当時から新譜はリアルタイムではあまり聴いてこなかった。来年3月に来日するので公演に行きたいと思っておりそれで新譜を聴いてみたのだが、変わらずTeenage Fanclubでよかった。いつ新しいものを聴いてもあんまり変わらないっていうのも、それはそれで最高だ。

14.BAD HOP「BAD HOP 1 DAY

フリースタイルダンジョン直系で最も音源がいいのはやはりT-PablowのBAD HOPである。平易な言葉を使って自らの生活をありのまま詞にしている。情緒がすごい。ヒップホップ、特にキングギドラ以降の「ギャングスタっぽい」奴らは変にアメリカから影響を受けてしまってイキりがち、という偏見があって、実際にT-PablowとYzerrの2WINにはそういったところも見受けられる気がするのだが、このアルバムに関してはは彼らの日常をそのまま切り取った感じなのだろうなと思った。おそらくこのミックステープのなかでも最も聴かれているであろう「Life Style」は言うまでもなく素晴らしいが、「いつも通り仲間とうまい飯を食う」とラップする「Chill Dinner」もよい。

15.NAO「For All We Know

このアルバムはいまだに曲名もわからないんだけど、ただ雰囲気がすごく好きでよくBGMとして使った。dvsnでもEskaでもよかったんだけど、特に後半聴いたのでとりあえずこれ。
なんというか、僕は英語を聴き取る能力がまわりの洋楽好きより著しく低いらしく、いままで一貫して、海外の音楽は歌詞がわからないまま聴いていたのがほとんどである。だから「雰囲気が好き」というだけで自分の好きなアルバムランキングに勝手に上位に入ってくるアルバムが山ほどある。それと似たような感じでこれは好き。

おまけ

16.IO「Soul Long」
17.ミツメ「A Long Day」
18.GANG PARADE「Barely Last」
19.Blood Orange「Freetown Sound」
20.A Tribe Called Quest「We Got It from Here... Thank You 4 Your Service」
21.Eska「Eska」
22.Campanella「PEASTA」
23.Frank Ocean「Blonde」
24.Radiohead「A Moon Shaped Pool」
25.callme「callme」

うまく聴き込めたアルバムが上位に来て、結果的に聴き込みきれていないけどなんとなくよかったなあというのが下位に来てしまっているので、評価としては正しくないのかもしれないなあと思いつつも。

ベストソング

1.宇多田ヒカル「忘却 feat. KOHH」

忘却 (feat. KOHH)

忘却 (feat. KOHH)

KOHHのヴァースと宇多田のフックの詞が、互いの前の詞に呼応するように進む。
「明るい場所へ続く道が明るいとは限らないんだ」という宇多田の詞がそもそもすごいのだが、それに呼応したKOHHが「足がちぎれても/義足でも/どこまでも/走れメロス/口閉じてるけど/開ける目を/強い酒と/吐いたゲロ」と立て続けに細かい韻を踏みながらラップするところの性急さが、本当に「どこまでも」閉塞感があってすごい。閉塞的でありながら、スケールは壮大で、聴いていて不思議な気持ちになる。
変に今のヒップホップのフィールドに乗りすぎないKOHHだからこそこの曲に乗せることができたのではないかと思う。ずっとKOHHの魅力がよくわからないと言っていたのだが、この曲を聴いて大きく印象が変わった。

2.Bon Iver「CR∑∑KS」

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タイトルで謎に記号を使う感じは椎名林檎的なものを思い出すけど、こういうのって海外ではどのように受け入れられているんだろうか…。
オートチューンも含めたボーカルの多重録音だけで構成される曲。このタイプの曲ではじめて聴いてすごいと思ったのはJames Blakeの「Meet You In Maze」だったのだが、短くて、シンプルだったので結果的にいまではこちらのほうがよく聴くようになった。歌唱法と音作りのおかげか、歌詞の内容は、英語がわからないから(だけではなく歌詞自体が表現をぼかしている箇所も多いと思うけど)意味不明なところも多いが、より切実に聴こえ、一層孤独感が募る。日本語のリリック・ビデオが出てるというのもありがたいので何度も見た。

3.乃木坂46「裸足でSummer」

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2016年の乃木坂はこの曲を除いて楽曲面ではあまりよくなかったんじゃないかと思う。いや、すべてよかったことは事実なのだが、「君の名は希望」以降連綿と続く、「秋元康が『いいこと』を詞にして彼女たちに合唱曲とアイドルソングの間みたいに歌わせる」みたいな手法もそろそろ飽きが来たなあという感じがあり、特に「きっかけ」以降後半は素直に楽しめなかった。
ただ、この曲だけは別格に良かったと思う。夏の始まりのような陽気さがありながら同時に夏の終わりのような切なさもある。「さよならクロール」を連想させる。アッパーとセンチメンタルの同居こそ、アイドルソングに最強のエモをもたらすのだ。

4.BiSH「KNAVE」

KNAVE

KNAVE

これは割とマジなのですが、モモコグミ・カンパニーさんはアイドルとしてだけでなく作詞家として好きで、BiSHにドハマリしたきっかけのひとつは、彼女が作詞した「デパーチャーズ」という曲の「たかが運命なんてものは変えていける気がするんだ」という一節にあったりする。サビのメロディに乗っかった時の詞の説得力が凄まじく強い。本当になんか強気になれる。
ニューアルバムのなかでは彼女はこの曲と「summertime」という全編英語詞の作詞を担当しているんだけど、とにかくKNAVEはよい。BiSHは基本的にアイナ・ジ・エンドの声がやはり強烈な個性だが、この曲は彼女の声はほとんど出てこない。サビの多くはセントチヒロ・チッチが歌っている。曲の雰囲気もパンクだが爽やかかつ穏やかで気持ちよく、歌の担当の割り振りが功を奏している。渋谷WWW Ⅱであった男限定ライブ「About a Boy」でこの曲をはじめてライブで見たとき、チッチさんが笑顔で「君に願うたくましく生きてほしい」と歌う姿を見て、隠れて泣いた。

5.シャムキャッツマイガール

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確実にド名曲。いま気づいたけど、最近海外のインディーに興味が失せていたのは、ここ数年、ミツメ・シャムキャッツを中心に海外とくらべても遜色ないインディーが日本でも確実に著名になってきたからというのはあるかもしれない。「AFTER HOURS」「TAKE CARE(EP)」の頃は詞について三人称視点で客観的に表現することが多かったシャムキャッツだが、この歌は一人称視点の歌詞に戻ってきている。かなり歌詞の内容はとても個人的で、ちょっとダウンして不機嫌気味の女性に対し、そういうの面倒だからいつもの笑顔を見せてよーというだけの曲。なんか日常を切り取った感じが自然体で素敵だ。このインタビューもよかった(少し話がそれるけど、インタビューで言及されている西野カナ、たしかによい)。シャムキャッツを聴いてると、こういう雰囲気の音楽を日本語詞で聴けるということをとてもありがたいなあなどと思ったりする。

6.C.O.S.A.×KID FRESINO「Love」

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高校時代、友人にTodd Rundgrenをおすすめしてもらって一回だけ聴いたことがあったが、ピンと来なくてその後ほとんど聴くことがなかった、ということがあった。この曲、そのアルバム「something/anything」に入っていた「Marlene」を大胆にサンプリングしてトラックをつくっている。まずそのセンスにも脱帽だし、僕にTodd Rundgrenを聴き直すきっかけを与えてくれたっていう点でも個人的に素晴らしい。
だが、トラックもさることながらリリックが素晴らしい。
「随分変化してきた生活/見渡すと信頼できる人たちが/少しずつ増えてきてる/事実俺はマイクを回すことを覚えてる」(C.O.S.A.)
「干渉と言わずに互いを理解する/歩幅の違いを今は理解した」(C.O.S.A.)
「今夜俺は歩いて帰れるだけの酒を飲み/そして潰れたfriendsを跨いで振り返る」(KID FRESINO)
「Local trainを待つ数分間/ひとり誰かを思って書くSave your life」(KID FRESINO)
決してリスナーに直接突き刺さる詞ではないのかもしれないが、彼らのそれぞれの生き方が浮かんでくる詞が多い。誰かにやさしい声をかけてもらっているというよりは、誰かの話を聞いてそこから自分で考える、みたいな感じがある。素晴らしいリリック。これぞまったくもって「What love is」である(はあ?)。

7.KOHH「Die Young」

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2016年10月8日、日比谷野音にて発表されたBiSHのツアーの名は「NEVER MiND」であった。もちろんこれはNirvanaのかの名盤からとったものであることは明らかだが、奇しくも2016年、同じようにNirvanaを参照していたアーティストがいた。KOHHである(僕はBiSHを起点にしかこういう話ができないのだろうか)。
ラップとシャウトをごちゃまぜにするだけでなく、トラックにおいてもトラップとグランジをごちゃ混ぜにししてしまっているところが面白い。歌詞の内容もカート・コバーンジミ・ヘンドリックスなどが登場し、若くして死んだロックレジェンドたちからの露骨な影響が伺える。彼はほとんど日記のように詞を書き続けているというが、中二病などという安易な批判にも物怖じしないような存在感の強さがカッコいい。KOHHは暗いものが多いが、この曲は特に暗いので、聴くのに少し勇気がいる(これを書くために何度も聴いていたら慣れてきた)。

8.欅坂46「2人セゾン」

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というか、欅坂46のシングル表題曲3曲、どれもがよかった。デビューに際しては平手友梨奈を中心とした革命集団的アイドルグループ像を確立するにふさわしい「サイレント・マジョリティー」を。その大ヒットの次にどのようなものが来るのかとファンが期待を寄せる中での2ndシングルは、ポエトリー・リーディングも取り入れた、夏らしいさわやかな「世界には愛しかない」を。そして2016年も終わりに差し掛かり、冬に近づくと、それまでの季節を振り返るかのようなセンチメンタルさを持った「2人セゾン」を。結果的にそうだっただけなのかもしれないが、時期に合わせそれに最適なシングルを出しているというところが欅坂46が、そこまでライブの本数を出していなくても、わずか一年でここまでの知名度を獲得したポイントなのではないかと思う。どれも最高なので全部をベストにあげたいんだけど、とりあえず一つ挙げるとしたら最新だろうということで。小池美波さんフロントおめでとう!!!!!かわいいよ!!!!!!!!!

9.Anderson Paak.「Celebrate」

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上に挙げたKOHHのインタビューが収録された「SWITCH」(指原莉乃が表紙のやつだ)を渋谷のTSUTAYAで買って、東横線で読みながら聴いていて「なんだこれ、とても雰囲気がよいな」と思ったのをよく覚えている。その日は気持ちいいくらい晴れてて、なんかその雰囲気も相まって、「うわ、すげえいい曲だな」と思った。聴いてると懐かしい気持ちになるんですよね。彼のアルバムの中ではそこまで人気な曲ではないらしいのだが、僕のAnderson Paak.の入り口は確かにここである。なんで好きな人いないのかなあとずっと思っていたのだが、あるときApple MusicのCINRAのプレイリストに載っているのを発見して、なんとなく安心した。そういう曲。

10.Whitney「No Woman」

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変化の只中をさまよう男が「No woman...」と歌うだけのシンプルな曲で、なんだかその不安定さが自分と重なってとても好きな歌詞。でも歌詞だけでなくリフもよい。こういうシンプルだけどアルペジオとハンマリングやプリングを使って少しメロディアスにしているギターリフが好きなんだよ。こういう曲を書いてミュージシャンになりたかったなあと思う。

総じて

1.歌詞の大切さ

僕はとかく英語詞を歌詞として聴き取る能力がないので、特に洋楽の歌詞は軽視してきた。というか、軽視することしかできなかったというか。それで特に後半は、いままでほとんど読まなかった英語の歌詞をそこそこ読むようにした。訳詞だけでなく、自分で訳してみたりもした。ついでにPitchforkを自分で訳したりもしていた。それでとにかくすごいなと思ったのは、ごく当たり前のことなんだけど、海外にもこんなに突き刺さる歌詞がたくさんあるんだなということだった。2016年の新譜だけでもこんなに好きな詞が出てくるとは…という感じ。
いままで単なる音として聴いていた海外の音楽は意味をとかく確認するようになった一方、いままで詞の内容を意識して聴いていた日本の音楽は、音や響きを意識して聴くようになった。宇多田ヒカル椎名林檎の「二時間だけのバカンス」なんかは実はかなり韻を意識して詞を書いていることがわかる。日本語で韻が踏めないは確かに嘘だなと思った。また、韻を意識して聴いていると必然的に内容もより耳に入ってくるので突き刺さるものが多かった。
アイドルを作詞家としてリスペクトすることになるとは思ってもいなかったし、歌詞アプリ(Musicmatch、Genius)はかなり使った。それでもまだ歌詞を聴くということができていないので、もっともっといろんな詞を意識して聴いていこうと思う。

2.追いきれない

上記のように歌詞を意識していると、そのアルバムをまともに聴くのにかなり時間がかかる。加えて僕は結構一度好きになったものを一時期とにかく聴きまくるという性質があるので、別のものに手が届かなくなる。Apple Musicのおかげでいろいろな音楽を手軽に聴けるようになったが、それ故に手が届かない部分にも目がつくようになった。「一人の人間が使える時間は有限なのだな」ということを改めて思う。「20XX年ベストソング」とかって延々とこう30曲とか50曲とかあげまくってるひとって、そんな簡単にベストに挙げれるほどその音楽聴いたのか?って感じもしている。まあ、音楽なんてもっとライトな聴き方をされるべきものだし、聴き方なんて人それぞれなので、どーでもいいのですが。

3.アイドルとアーティストが対等になった

「楽曲派」なるものがあらわれてからそもそもアイドルもそれ以外の音楽もすべてフラットに聴くよという人間は増えたわけだけれども、2016年は個人的な感覚としても、本当にアイドルだろうがバンドだろうがなんだろうが楽しみ方があまり変わらなくなったという感じがした。しかもかなり強く。「世界には愛しかない」がラジオではじめて公開されたとき、「オーケストラ」のMVがYouTubeで公開されたとき、それをリアルタイムで聴いていたのだが、高校生のときにバンプの「Supernova」をラジオで聴いていたときの感覚にそっくりだった。当時は、聴き終わったあとツイッターを見るのではなく、2chかなにかを見ていたと思うんだけど。
なんかのブログで、「『楽曲派』という言葉をアイロニーなくベタに使っていた人間たちはいまこぞって『フリースタイルダンジョン』を見てると思うんですけど(笑)」みたいな感じでバカにした言い方をしていたのを読んだのだが、僕はその、いまこぞって『フリースタイルダンジョン』を追っかけてる人間なので「ぐぬぬ」ってなった。センスの悪い人間ですいません。でもいま、音楽ジャンルとしてのアイドルかどうかって、相当どうでもいいのだろうなという感じがした。


2017年も素敵な新しい音楽に出会えますように…。自意識垂れ流し。

最近邦楽しか聴いていない

日記

最近邦楽しか聴いていない。高校生の頃英語もよくわからず海外の音楽を多く聴いていたけれども、結局は邦楽のほうが直接的に歌詞が耳に入ってきてちゃんと理解できるから好きだ。冒頭「最近」と書いてみたはいいものの、結局のところここ10年、どっちかというと邦楽しか聴いていないと言ったほうがいいのかもしれない。
日本語と英語は違う。同じ気持ちを表現しようとするとき、詞だけでなく会話においても、日本語での表現でさえ多様な表現があるわけだけど、英語での表現に視点を広げると、英語だからこそのさらに多様な表現がごろごろある。ように思う。僕は英語詞は聴き取れないので、たまに歌詞を読んでみたりしてそれを知る程度で、英語表現の妙を語るほど英語が得意というわけではないけど、それでも英語での表現も面白いなと思えるのだから、本当に言語の違いは表現の違いがあって、それは相当おもしろい世界が広がってるんだろうと思う。
レディオヘッドの「KID A」や、いまであればフランク・オーシャンの新作のように、世界中の音楽ファンがこぞってそれに注目する、といった文化圏とはかなり離れたところに、日本はあると思う。そもそも表現手法の問題だけでなく、オリコンチャートなるシステムや業界の構造そのものが世界のそれとはかなり発展の仕方が異なっている以上、かなりしょうがないと思う。使い古された議論だが、90年代後半、スーパーカーナンバーガールくるりなどが登場し、それらがロキノン系評論家たちにこぞって評価されたのには、そういった日本独自の文化圏においてもまた、先に挙げた日本独自的でないしかしそれでいて日本的な新たな表現手法ができることを示したからなのだと思う。
特に2010年代以降の日本においては、こういったアーティストの登場はほとんど当たり前になった。YouTubeとApplemusicのおかげで、15年前に登場していたらその存在が僕の耳に入ることはなかったであろうアーティストたちのかっこいい音楽を聴いたりしながら、いま僕は生きている。サチモスは月9で使われるようなバンドになったし、大学生のFacebookを見ていたらサチモスのメンバーみたいな男がかっこよく、サチモスのメンバーみたいな大学生とセックスしていそうな女がかわいいと思うので、たぶん若者文化のなかに、かつて日本にはないと嘆かれていた文化(なんて表現したらいいかわからない)が明確な言葉なくしても浸透しているのだろう。
海外の音楽を聴かなくとも、海外の雰囲気や情緒を含んだ音楽が日本で豊かになってきた。だから邦楽しか聴かなくなった。ちょっと前にカッコいいと思って聴いていた海外の音楽は歌詞がわからなかったからいろいろわからなかったけれど、いまは普通になんとなくオリコンチャートとは別のところにある、少し流行りのバンドとかを聴いていれば、歌詞がすんなり入ってくる音楽が聴けるから、いい。でも、なんか大事なものを失っちゃった気がするので、ちゃんとフランクオーシャンの新作でも聴こうか。